美・プレミアム掲載 伊藤緋紗子さんが訪ねる美の王国 私の愛したフォンテーヌブロー

世界遺産シャトー巡りと印象画派ミレー、シスレーの足跡を追って

パリ郊外には面白いほど私たちに身近で美しい、たくさんの観光スポットがあります。
その興味あるスポットを一日ゆっくりと巡るツアー。まもなくツアー発表、4月より催行です。
ヴォール・ヴィコント城〜ベルサイユ宮殿の着工に至るストーリー〜
世界文化遺産に登録されるベルサイユ宮殿。元は17世紀、ルイ14世が自分に仕えていた大蔵卿所有のヴォール・ヴィコント城のお披露目パーティーに招かれ、その城のあまりの豪華さに嫉妬激怒。ただちにこれに勝る壮麗豪華な宮殿の着工を命じたのが発端でした。

ルイ14世は、当時ルイ13世の狩猟の館に莫大な費用をつぎ込み、フランス絶対王政時代を象徴する建物を作り上げました。
しかしその浪費ぶりが国民の反発を招き、やがてその不満はフランス革命へとつながります。
バルビゾン村

ミレーの描いた「晩鐘」の舞台、バルビゾン村。
フォンテーヌブローの森に隣接するバルビゾン村は、19世紀にジャン=フランソワ・ミレー、テオドル・ルソーなど、自然風景や農民の日常生活を描く画家たちが多く集まり、「画家たちの村」として知られるようになりました。そして彼らは後にバルビゾン派として美術史に名を残します。
フォンテーヌブローの森につながる、かわいらしい小さな村のメインストリート。
バルビゾン派の村として、今も建物や玄関に思い思いの絵を飾るなんて、素敵だと思いませんか?

ジャン=フランソワ・ミレーのアトリエ
1849年、コレラが流行していたパリを離れ、家族とともにバルビゾン村に避難したミレーは、1875年にここで一生を終えました。
彼は、質素な生活を送りながら9人の子供を養い、このアトリエで「晩鐘」、「落穂ひろい」などの傑作を描きあげました。

中央の部屋(食堂)にまとめられたミレーとゴッホの作品集を見ると、独学で絵を学んだゴッホが、どんなにミレーを敬愛し、傾倒していたかが分かります。
モレ・シュル・ロワン
中世の街、モレ・シュル・ロワン。
中世に作られた城壁や数々の建物が今も残ります。
ここは、ルイ12世、サン・ルイ、アンリ4世など歴代のフランス国王を招き入れました。
芸術の街としても知られており、ロワーヌ川の素晴らしい風景など、この街の魅力に惹かれた画家アルフレッド・シスレーは、1889年にここへ移住し、晩年を過ごしました。小さな街ですが、多数の文化遺産を有するチャーミングな街です。



「ブルゴーニュ門」を出ると、ロワン川にかかる橋があります。
橋の左側には昔の「水車」が見えます。
川向こうの芝生に立って、シスレーは風景画を描いていたのでした。
フォンテーヌブロー城
800年という長い歴史を持ち、12世紀からナポレオン3世の19世紀まで、多くのフランス王が居城した宮殿です。
フランスで最も大きなこの宮殿は、歴代の王が、各々の時代の最高の職人を使い、増改築された姿が今に残ります。

1528年、フランソワ1世が、フォンテーヌブローの森で狩りを楽しむ王家の館に、新たな宮殿の建設を着手。
イタリアのルネサンス芸術に魅了されていたフランソワ1世は、わざわざ芸術家をイタリアから招聘しました。
フランソワ1世が王家の威信をかけた傑作品がフォンテーヌブロー宮殿です。

招聘された芸術家たちは「フォンテーヌブロー派」と呼ばれ、その後フランスで大活躍しました。
フランソワ1世は、レオナルド・ダ・ヴィンチやラファエロの絵画をはじめ、彫刻、タペストリーなど多くの芸術品を集め、フォンテーヌブローはヨーロッパの芸術の一大中心地として知られ、「芸術の都」パリの先駆けとなったのです。

この宮殿を特に愛したのが、「これこそまさに王の宮殿なり」と、フォンテーヌブロー宮殿を語ったナポレオン1世です。
彼は、1814年にこの宮殿で退位を決意し、近衛兵に別れを告げ、彼らの涙の中で流刑地エルバ島へ旅立ったのでした。