マダムHarukoのフランスレポート

秘境の地、フォントネー修道院

2016.4.25 フォントネー修道院,モンバール,シトー会,聖ブノワ,パリ,リヨン,ドライブ,マダムHaruko

先日、友人とパリからリヨンまで車で旅をしました。
距離にして470kmの長距離ドライブですが、運転手が2人いて、多少アクセスの悪いところへも車で行けるせっかくの機会、と、Montbard(モンバール/パリから約250km)にある世界遺産、Abbaye de Fontenay/フォントネー修道院へ立ち寄りました。
フォントネー修道院入り口リヨンに向かうA6線の高速道路を途中で下りて、田園風景を楽しみながら田舎道を走り続け、ようやくたどり着いた渓谷にある修道院は、人気観光地とはまるで違った印象。静かで幻想的な様相です。
フォントネー修道院庭園このフォントネー修道院は、最古のシトー会修道院*であり、1118年に設立されました。
フォントネーのラテン名は“フォンタネトム”と言い、“泉に泳ぐ”という意味です。由来の一つとして、修道院建設前は、その時の修道僧が浸水する土地の干ばつ工事を行っていたそうです。
*シトー修道会 カトリック教会に属する修道会。ベネディクト会から派生した。フランスのシトーに設立したシトー修道院が発祥。
フォントネー修道院回廊修道院は、12世紀から15世紀にかけて発展し、一時はここで200人以上の僧が暮らしました。
聖ブノア(ベネディクト会)の会則である、自給自足と孤独で貧しい生活を厳格に守り、修道僧はこの広い領地に栽培、家畜、製鉄などを行っていましたが、後のフランス革命(1789年)時には、10数名の僧呂が残るのみとなり、1790年、フォントネー修道院は国の財産となりました。
1820年、熱気球の発明者であるモンゴルフィエ兄弟の子孫、モンゴルフィエ家に売却され、修道院は製紙工場に転用されました。
その後、1908年に美術コレクターであるリヨンの銀行家エイナール家に買い取られます。
エイナール家はフォントネーを元の形に戻すべく大規模な修復工事を行い、修道院に設置されていた製紙工場のすべての建物を解体しました。引き続き今日も同家族が所有し、修道院の主要部分は観光客に公開されています。
フォントネー修道院ステンドグラス
行けども行けども田舎道を走り、突如森の奥に浮かび現れる修道院。
私たちが訪れた日は、霧のかかる小雨模様のお天気だったこともあり、ますます幻想的な印象が強く、修道院内の控えめで品の良い雰囲気に和み、心安らぐ感じを受けました。
院内は、教会の重厚な木製の扉、地味だけれど上品なステンドグラス、庭を流れる水の音、そして足を一歩一歩進めるたびに心地よい音を発する砂利道……。小一時間の観光を終え、思いがけない素敵な発見だったと、友人とともに感動を話し合い、車の運転の疲れも吹っ飛びました。
フォントネー修道院付属教会/寝室(左)修道院付属教会 (右)修道僧の寝室として使われた場所(聖ブノアの会則は、すべての僧呂が同じ部屋で寝ることを義務づけたそうです)