マダムHarukoのフランスレポート

芸術家の村、バルビゾン

2016.7.20 バルビゾン,印象派,ジャン=フランソワ・ミレー,グラン通り,ガンヌの宿,ジャン・フランソワ・ミレー記念館,オテレリ・デュ・バブレオ,マダムHaruko

今回は、パリの中心から南へ60km、私が住むフォンテーヌブローからほど近く、ぜひ訪れていただきたいおすすめ、バルビゾン村をご紹介します。
バルビゾン村住人が1,300人という小さな村ですが、19世紀には、印象派のジャン=フランソワ・ミレーやテオドル・ルソーを筆頭に多くの画家が住み、芸術活動を行っていた場所として有名です。
村の中心を通るGrande Rue (グラン通り) は、フォンテーヌブローの森まで続き、かつての画家たちがキャンバスを抱えこの道を通っていた様子が想像できます。
バルビゾン村
19世紀当時は、木こりと耕作者が住む貧しい村だったようですが、今は村が綺麗に整備され、Grande Rue (グラン通り)の両側に、おしゃれなギャラリー、ブティック、レストランなどが並んでいます。
バルビゾン村
また、通り沿いの所々の壁には絵が飾られ、芸術を愛する村であることは昔も今も変わりません。
ガンヌの宿
Grande RueにあるAuberge Ganne (ガンヌの宿)は、1824年に開業して以来、芸術家たちの溜り場でした。
現在は美術館になり、世界中から多くの人が訪れます。上映室でビデオ (日本語訳あり)を見てみると、この村の歴史、また芸術家たちの生活の様子などがよく分かります。館内には当時の宿屋の様子や絵画が展示され、特に壁や家具のあちらこちらに絵の落書きがそのまま残されているのが、とても興味深いです。
ルーアン/サン・トゥアン教会
同じ通りの中心あたりに、Maison-Atelier de Jean-Francois Millet (ジャン・フランソワ・ミレー記念館)があります。 彼が、1875年に亡くなるまで住んでいた小さな借家兼アトリエです。
パリでコレラが流行していた1849年に、当時35歳のミレーは、家族と共にこの村に避難しました。裕福ではなかった彼は、アトリエと菜園の仕事で質素に生活し9人の子供を育てたそうです。彼の作品の多くに、この村の自然風景や貧しい農民の生活が描かれています。
当時納屋だった場所を、彼自身が整備しアトリエを造り、ここで「晩鐘」「落穂ひろい」などの傑作を描きあげたそうです。
このアトリエを訪れると、ミレーが他の画家たちにどれだけ大きな影響を与えたのかを感じます。館長のイアムさんが説明してくれました。『ミレーは、「バルビゾン派」と呼ばれる流れに加わり、彼に続く画家たちの環境を見出したのだ』と。
ギャラリーやアトリエを覗きながらGrande Rueを散策していたら、かつての狩猟小屋を利用して建てられたHotellerie du Bas-Breau (オテレリ・デュ・バブレオ)に着きました。ホテルの中庭に気持ちの良いテラスがあり、カフェを飲みながらゆったりしたひとときを過ごせます (夏のみ)。
ここには、1971年に昭和天皇、皇后両陛下が訪れたという歴史があり、ホテル隣接のブラッセリーは、「ブラッセリー・ヒロヒト」とも呼ばれ、近辺の住人からも愛されています。
フランスにある芸術の村バルビゾンで、思いがけず日本との繋がりを知って、嬉しい気持ちになりました。

Auberge Ganne : 92 Grande Rue 77630 Barbizon
Maison-Atelier de JF Miller : 27 Grande Rue 77630 Barbizon
Hotellerie du Bas-Breau : 22 Grande Rue 77630 Barbizon